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浜田敬子さんが語る多重介護のリアルな体験談

ジャーナリストの浜田敬子さんが、自身のエッセイで語っている「多重介護」の体験が、
多くの働く世代の共感を呼んでいます。

働きながら両親ふたりの介護に直面するという、
誰にでも起こりうる現実を、浜田さんはどのように経験してきたのでしょうか。
公開されているエッセイをもとに、その実体験を丁寧にまとめました。

この記事でわかること💡

  • 両親を東京に呼び寄せた経緯
  • 父親が倒れた日のこと
  • 母親の異変に気づくまで
  • 出張先で受けた緊急連絡
  • 多重介護という現実

働きながら親の介護と向き合うという、
多くの人が直面しうる現実を、浜田さんの言葉をもとに紹介します。

両親を東京に呼び寄せた経緯

浜田さんは、子どもが1歳半の頃、子育てのために山口県の両親を東京に呼び寄せました。

それから20年近くの月日が流れ、両親はともに80代となりました。

朝のワイドショーのコメンテーターなど多忙な仕事と、
子育て、そして両親のサポートを両立させてきた浜田さんですが、
この20年で状況は少しずつ変化していったといいます。

父親が倒れた日のこと

大きな転機となったのが、86歳の父親が熱中症で倒れた日のことでした。

外出中に熱中症で倒れて転倒し、そのまま入院することになった父親は、
入院をきっかけに歩くことが難しくなり、認知機能にも急激な変化が見られるようになったといいます。

それまでは介護が必要というほどではなかった状態から、
一気に要介護状態へと転じてしまった、まさに転換点となる出来事でした。

母親の異変に気づくまで

父親を支える立場だった80代の母親にも、
夏前から毎日のように37.5度前後の微熱を訴えるという変化が現れていました。

複数の医療機関を受診しても異常は見つからず、
医師からは「少し薬をやめてみたら」と言われるほどでした。

浜田さんは当初、頻繁に病院に行きたがる母親に対して戸惑いや苛立ちを感じていたといいますが、
後になって、その病院通いの時間が「父から離れられる唯一の時間」だったことに気づいたと振り返っています。
介護疲れと将来への不安が、母親なりの形で表れていたのかもしれません。

出張先で受けた緊急連絡

ある日、富山県への出張中に、母親からLINEでメッセージが届きました。

「お父さんがトイレから戻る途中で尻餅をついて立てない」という内容に、
「お母さん、私は今富山だよ。だから助けに行けない」と返すしかなかったといいます。

仕事で家を離れているときに限って介護のトラブルが起きるという状況は、
働きながら介護をする多くの人が経験する現実でもあります。

多重介護という現実

父親は2023年に要介護2の認定を受け、
その後要介護3まで状態が進みました。

一方の母親も要支援2の認定を受けており、
介護をする側とされる側の境界が、次第に曖昧になっていったといいます。

ヘルパーの訪問は週2回にとどまり、
それ以外の時間は家族が対応せざるを得ない状況が続いていました。
これがまさに、両親ふたりを同時に介護する「多重介護」の実態です。

働きながら介護をするということ

浜田さんは、こうした経験を通じて
「介護離職をせざるを得なくなる現実」についても言及しています。

働き盛りの世代が突然介護に直面したとき、
仕事と介護の両立がいかに困難かを、身をもって経験したことになります。

ジャーナリストとして「働く女性」の課題を長年取材してきた浜田さんだからこそ、
説得力を持って伝えられる現実がここにあります。

気づかなかったことへの後悔

浜田さんは、母親の異変にもっと早く気づけたのではないかという
後悔の気持ちについても率直に語っています。

「もっと話す時間を作っていたら、早く気づけたのではないか」という言葉には、
忙しい日常の中で見過ごしてしまいがちなサインへの警鐘が込められています。日々の会話の中にこそ、大切な変化のサインが隠れているのかもしれません。

この気づきは、同じように親の介護に直面する多くの人にとって、
大切な教訓となる内容といえるでしょう。

要介護度が意味するもの

浜田さんのエッセイでは、要介護度の変化についても具体的に語られています。

自力でトイレに行けて食事もできる状態であれば要介護1程度ですが、
排泄など基本的な行為が難しくなると要介護3以降に進むとされています。

父親の状態はこの基準に沿って急速に進行し、
ベッドから落ちても母親の力だけではどうにもならない場面も出てきたといいます。
介護度が上がるごとに、家族が担う負担も比例して重くなっていく現実がそこにはありました。

ヘルパーだけでは支えきれない現実

ヘルパーの訪問は週2回という限られた頻度にとどまっていました。

それ以外の時間帯に何かあった場合は、
家族が駆けつけるしかないというのが、多くの介護家庭が直面する現実です。

公的な介護サービスだけでは対応しきれない部分を、
家族が身を削って埋めているという構図は、決して浜田さん一家だけの問題ではありません。
介護保険制度の枠組みと、実際に必要とされる支援の間には、まだ大きな隔たりがあるのが現状です。

よくある質問

浜田さんが両親を東京に呼んだ理由は?

子育てのサポートを受けるため、子どもが1歳半の頃に山口県から東京へ呼び寄せました。

父親の状態が急変したきっかけは?

86歳のときに熱中症で倒れて転倒し、入院。その後歩行が困難になり、
認知機能にも急激な変化が見られるようになりました。

母親の異変はどのように現れた?

夏前から毎日のように微熱を訴えるようになりましたが、
後にそれが介護疲れによるものだったと気づいたといいます。

「多重介護」とはどんな状態?

父親(要介護3)と母親(要支援2)を同時に支える必要がある状態で、
介護をする側とされる側の境界が曖昧になっていく状況を指します。

ヘルパーはどのくらいの頻度で訪問していた?

週2回の訪問にとどまっており、それ以外の時間は家族が対応する必要がありました。

要介護度はどのように上がっていった?

2023年に要介護2の認定を受けた後、状態が急速に進行し、
要介護3まで悪化していきました。

まとめ

ジャーナリストの浜田敬子さんは、
子育てのために呼び寄せた両親が、20年近くの歳月を経て「多重介護」の状態に至った経緯を、率直に発信しています。多忙な仕事の合間を縫っての介護は、想像以上の負担を伴うものでした。

父親の熱中症による急激な状態悪化、母親自身の不調のサインへの気づき、
出張先で受けた緊急連絡など、働きながら介護に向き合う現実がリアルに描かれています。誰もが直面しうる出来事だからこそ、多くの共感を集めています。

「もっと早く気づけたのではないか」という後悔の言葉には、
多くの働く世代が共感し、自身の状況を見つめ直すきっかけとなっています。日々の小さな変化に目を向けることの大切さを、あらためて教えてくれる言葉です。

誰にでも起こりうる多重介護という現実。
浜田さんの実体験は、これから同じ状況に直面するかもしれない多くの人にとって、貴重な示唆を与えてくれます。決して他人事ではないというメッセージが、多くの読者の胸に響いています。

働きながら介護をするという二重の負担は、決して他人事ではありません。
浜田さんのように率直に体験を発信することが、同じ悩みを抱える人たちの助けになっていくのではないでしょうか。
次の記事では、老老介護・多重介護への備えについて詳しく紹介していきます。

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